架空の杜

The journey is the reward.

一回転して全肯定

ポストモダニズムは「直線的な物語としての歴史」や「普遍的で、超越的なメタな物語」を「西欧中心主義」としてまとめてゴミ箱に放り込んでしまった。歴史解釈における西欧の自民族中心主義を痛烈に批判したのは間違いなくポストモダニズムの偉業である。

しかし、「自分が見ているものの真正性を懐疑せよ」というきびしい知的緊張に人々は長くは耐えられない。人々は「自分が見ているものには主観的なバイアスがかかっている」という自己懐疑にとどまることに疲れて、「この世のすべての人が見ているものには主観的なバイアスがかかっている」というふうに話を拡大することで知的ストレスを解消することにしたのである。彼らはこういうふうに推論した。

「人間の行うすべての認識は階級や性差や人種や宗教のバイアスがかかっている。人間の知覚から独立して存在する客観的実在は存在しない。すべての知見は煎じ詰めれば自民族中心主義的偏見であり、その限りで等価である 」

こうして、ポストモダニズムが全否定した自民族中心主義がみごとに一回転して全肯定されることになった。これが「ポスト真実の時代」の実相である。気の滅入る話だが、ほんとうなのだから仕方がない。

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