架空の杜

The journey is the reward.

村上春樹


「眼高手低」という。
創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてはたいした仕事はできない。
これはほんとうである。
私自身がそうであるからよくわかる。
私もまた腐るほどたくさんの小説を読んできて、
「これくらいのものなら、俺にだって書ける」と思ったことが何度もある。
そして、実際には「これくらいのもの」どころか、
一頁さえ書き終えることができなかった。
銀色夏生さんは歌謡曲番組をTVで見て、
「これくらいのものなら、私にだって書ける」と思って筆を執り、
そのまま一気に100篇の歌詞を書いたそうである。
「作家的才能」というのはそういうものである。
努力とか勉強とかでどうこうなるものではない。
人間の種類が違うのである。
作家と編集者の間には上下の格差や階層差があるわけではない。
能力の種類に違いがあるだけである。
このエントリが話題になっている。それでこの文章に言及したブログもいろいろと読んだ。面白いのは「明らかに村上春樹の文体に強い影響を受けているブロガーがたくさんいる」ということだ。私は物語を読む才能すら欠けていて長編の小説は殆ど読まないのだが、それでも村上春樹の作品は4,5冊は読んだし、彼の音楽に関するエッセーは大好きである。熱心な読者でなくても、彼の文体模写は非常に判りやすい。そして大抵その文章は「嫌な感じ」がする。あやふやな記憶だが、文学賞の選考者が「村上春樹的文体が応募作に溢れかえってウンザリする」と述べていたのを覚えている。村上春樹は大作家の中でも特に「これくらいのものなら、私にだって書ける」との錯覚を喚起しやすいタイプなのだろう。私には文学の批評をする才能はないが、模倣が瀰漫するぐらい影響力の強い人はやはり偉大なのだと思う。私も私的な日記等では散々、町田康文体模写をやってきたので同類なのだけれども・・・