架空の杜

The journey is the reward.

今日の樹言

自分がトラブルに遭遇すると、まず「責任者を出せ」と
他責的な口調ですごむ「弱者」たちに私たちの社会はいま充満している。
そして、その「弱者の恫喝」に苦しめられている人々もまた「弱者」
戦略のブリリアントな成功を学習して、別の局面では自分もまた「弱者」
「被害者」「無権利者」の立場を先取りしようとする。
弱者であること、被害者であること、無権利であることはしばしばそう
でない場合よりも多くの利益をもたらすということを学んだからである。
その「弱者の瀰漫」に当の「弱者」たち自身がうんざりし始めている。
当然のことながら、「弱者が瀰漫する」ということは「社会的リソース
の権利請求者がふえる」ということであり、それは「私の取り分」が減
ることを意味するからである。

「弱者に優先的にリソースを分配せよ。だが、それを享受する『弱者』
は私ひとりであって、お前たちではない」と人々は口々に言い立てる。
この利己的な言い分に人々は(自分がそれを口にする場合を除いては)
飽き飽きしてきたのである。

「弱者は醜い」という小泉首相の「勝者の美意識」はこの大衆的な倦厭
感を先取りして劇的な成功を収めた。

今回もいろいろと考えさせられることが多いエントリでした。たとえ弱
者であっても自己規定において自らを弱者とする人間の欺瞞に対する怒
りが国民に大きくしっかりと根付いていたのですね。弱者の自己欺瞞
私のもっとも忌み嫌うものであるので、このエントリは非常に腑に落ちました。