架空の杜

The journey is the reward.

ニート論

世の中いろんな人がいるというのは頭では分かっているものの、彼らの抱えている問題や不安の正体は共通している。しかも、彼らは概ね空想で完結した社会を殻のように持ちながら誰かがその殻を破ってくれることを期待し、同時に殻に手をかける人間を物凄く警戒する

 しかしだ。しかしだよ。そういった自分一人で未来を切り拓く力が弱かったとしても、自分のために超えられないかわりに、誰かのために、もしくは何かのために力を尽くすということはできないものなのか。例えば、親のために、家族のために、自分と笑って語らってくれる友人のために、共通の趣味を持つ同好の士のために、好いた異性のために、欲しいもののために、組織のために、民族や国家のためにといった、目的を自分以外に持つやり方はしないものなんだろうか。