架空の杜

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匿名文化とネット原住民 あとmixiの今後とか

ネットの匿名文化は日本だけのものか? - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
日本で匿名文化が花盛りのように見えるのは、ネット原住民とでもいえるヒマでネットに耽溺している人たちの母数が多いからとの考察。その通りだと思う。

リア充が漸減していく社会

消費せず交流せず移動距離が少ない内向的趣味世界に隠遁する若年世代は確実に増えている。増えてきているというよりそこしか行き場のない人間が溜まってきているという方がより適切か。

私たちに実名は重たすぎる

リアルな社会への多くの扉が閉じられている我々にとって、実名は誇りの持てない看板である。それは既に胸を張ってさらせるような記号ではないのだ。実名を誇りにできない社会風潮の拡大がネットにおける匿名瀰漫の原因の一つだろう。結果として匿名が多数になる中で実名を使うリスクが顕在化してしまって、原因から見ても結果から見ても、ネット上において自らをアイデンティファイされない(させない)というのが日本におけるスタンダードになってしまった。

日本は後進ではなく先進

経済において日本は「バブル崩壊においても、長期デフレにおいても」世界の先端をいっているという議論がある。そして米国も欧州(EU)もその道を追いかけている。米国や欧州においてもこれまでの中間層が下流に転落しつつある。そうなると実名に誇りを持てず、それを表看板にすることを重みに感じる若年層は増えることがあっても減ることはなく、日本同様にネット上において匿名を担保に発言する風潮はおそらく拡大していくはずだ。

蛇足的にmixiの今後について

誰が見てもmixiは「2chよりは匿名性が低く、Facebookよりは匿名性が高い」という絶妙なポジションニングが日本国内におけるSNSの覇者になった原因だろう。「リア充への親和性も高いが、自己同一性を確保しながら匿名の仮面を被ることも可能」というニーズを創造したのだ(偶然に鉱脈を掘り当ててしまったというのが正しいだろうけど)。ところがmixiFacebookになりたくて仕方がないらしく「匿名と非匿名の中間という大きなマーケットを構成する利用者」の気持ちを逆なでするようなことばかりしている。リアルタイム足あと機能のサービス停止がその最たるものだろう。Facebook的なものが真に日本社会のニーズをすくい上げているなら、mixiFacebook化を待たずにFacebook自体が日本市場でも大きく成功していたはずだ。匿名性を担保としないリアルな主体を想定したネットコミュニケーションビジネスは日本では居場所がないのだ(あったとしても小さいだろう)。匿名のwww.4chan.orgが米国においても1200万人のユーザーを捕まえたのなら、現在の実名と匿名の中間を埋めているmixi利用者のニーズは世界的に潜在している宝の山かもしれない。残念ながら、mixiの運営には、そういう発想は微塵もないようだけど・・・