架空の杜

The journey is the reward.

川原泉の保守性は批判されるべきものでしょうか?

ユキヒロの神経質な赤いバラ - pêle-mêle
昨夜に書き殴ったエントリが望外のアクセスを集めたので、今宵も書き散らします。

川原泉の人間観・恋愛観は基本的には保守的である。いまどき「主人公が片親」という設定に頼らなければ物語を駆動できないのがその典型。また釣り、自衛隊、ゲートボールといった少女漫画らしくないテーマを好んで描くのは、「普通の」舞台ではストレートな恋愛ものを描きにくくなってしまった1980年代以降のトレンドに取り残されてしまったからだろう。

このテキストからは「保守的=よくない」という思想が垣間見られます。私としては「保守的だろうが、そうでなかろうが楽しめたらいいじゃない」と反発を感じてしまいます。「保守」が以前ほどネガティヴな言葉として扱われなくなっているのが、むしろ現状の空気だと私は感じています。

保守的であるというのはどういうことか

いまどき「主人公が片親」という設定

川原作品のヒロインは寧ろ「両親が健在」の場合の方が多いと思っていましたが・・。あとマンガ表現において「保守的」というのは、何を意味するのかとの疑問もあります。一般社会においてマジョリティが支持する価値観を「保守的」というのであれば、多くの読者に読んで共感してもらってナンボの世界で販売されるマンガがマジョリティの価値観を代弁することは、マンガをビジネスとして考えるなら非難される筋合いではないはずです。それとマジョリティはマイノリティの迫害者であるという考え方は、単なるルサンチマンに過ぎないのでは・・・と思ったりします。

川原泉世界の源泉は

難しいコメントをいただいて混乱しましたが、「異性愛至上主義」が糾弾されるモノであれば、何も有名税というだけで川原泉が集中砲火を受けるのは気の毒です。BLはやはりニッチです。(ニッチだから悪いという意味合いは無いです)それに「異性愛至上主義」という言葉からは男女のエロス的関係こそ男女間の関係性の全てであるという思いこみが感じ取られます。普通の川原ファンなら彼女の描く男女関係は徹頭徹尾エロスを排除したものであることに異論はないでしょうし、多少変質した今の川原泉の作品でも、そのスタンスは墨守されています。川原泉の描く男女の関係はエロス関係というより、彼女のファザーコンプレックスから生じた庇護されたいという、いじらしい願望を描いた寓話と読み取れないでしょうか? 川原泉のファンに男性が多いのはジェンダーを超えて、ピュアな父性を渇望する読者が多いからだと思います。