架空の杜

The journey is the reward.

物語を喚起する可聴波動を音楽という

ヘタウマを楽しむ感性
音楽というのは主観でしか語れないという前提にて・・・

アニソンを楽しむということ

nippe様がアニソンが音楽に聞こえたということですが、いきなり本題に突っ込むと「アニメ」という物語を飲み込んだ上でアニソンを聞いたから、楽しめたのだと思います。アニメが好きになったのでアニソンが好きになったというのはあっても、アニソンが好きになったからアニメが好きになったという流れは聞いたことありません(決めつけてよいのかw)。

例えば私に関していえば、好きなアニソンは全てアニメ自体が好きなのです。アニメの世界観に波長を合わせるようにアニソンは作ってあります。その世界観に楽しみを見つけたら、そこに付随する音が音楽として聞こえてくるのは必然なのです。

物語あっての音楽

モーツァルトが創ろうがジョン・レノンが創ろうが岡崎律子が創ろうが、背景に物語が見えないと音楽は音楽たり得ないのです。

クラシック評論家は宇野御老公から許なんたらまで「オペラこそクラシックの神髄」と云います。オペラには物語があります。オペラ音楽が至高のクラシックと意味づけられるのは、オペラが「作曲者の物語+オペラの物語」という二重構造になっているからです(割と断言)。

ジャズを語る人たちはジャズミュージシャンの情報を熱く語ります。物語が多ければ多いほど、音楽が生きて聞こえてくるのです。ジャズが死んだと云われて久しいのは、現代ジャズの背景に流れる物語が希薄であるからです。

音楽は物語とセットです。音しか無いから、その分想像力の余白が多いから音楽は楽しいのです。私が雑音のような海賊盤の音からすら至福の喜びを感じられるのは、そのミュージシャンの膨大な物語を読み込んでいるからです。

テクニックとミュージックの関係について

蛇足ながら音楽と技術は正比例の関係にはない。技術力に比例して音楽の魅力が高まるのなら、クラシックならポリーニショルティはもっと評価が高くてよいでしょうし、ロックならスティーブ・ヴァイ(うろ覚え)はジミー・ペイジより偉大なギタリストとして評価されてもよいでしょう。*1

ストーリーを知らなくても

もちろん物語が無くてもガツンと来る音楽はあります。しかし、衝動した瞬間に音は「私自身の」物語を飲み込んでいるのです。そして我々は、その音を発した他者の物語を求めて情報収集をはじめるでしょう。音楽の楽しみ喜びはそのあたりに本質があると思います。
サクラサク Walls & Bridges モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、第24番 Led Zeppelin 4: Zoso

*1:ジャズはまずテクニックで圧倒してから、物語の読み込みが始まるという意味で独特かなと・・・も思いますが