架空の杜

The journey is the reward.

Archives - 内田樹の研究室

誰でも、自分の中に弱さや醜さや邪悪さを抱えている。
それらを「愛する」というのは「どうしてそのような要素が自分の中にあるのか、来歴も知れず、統御もできないけれど、とりあえずそれと折り合ってゆくしかない」と思い切ることである。
自分の中のさまざまな人格的ファクターをゆるやかに包括しつつ「共生する」ということは、自分の脆弱性や邪悪さに「屈服する」ということとは違う。
私たちが隣人をうまく愛せないでいるのは、「自分自身を愛すること」は本能的な行為であり、誰でも現にそうしているという誤った前提に立っているせいではないだろうか。自分自身をうまく愛することができない人間に、どうして「おのれ自身を愛するように」隣人を愛することができるだろう。
「愛する」とは理解や共感に基づくものではない。
むしろ「よくわからないもの」を涼しく受け容れる能力のことである。
おのれのうちなる他者と共生することのできる能力、おそらくはそれが隣人を愛する能力、神を愛する能力につながっている。

私が猫しか愛せない理由が何となく分かったような気がします。。