架空の杜

The journey is the reward.

情報の価値

情報の価値が変化している。以前は「正しい知識」が価値を持っていたが、現在は急落している。変わりに台頭してきたのは「正しい知識のありか」と「個々の思考」である。……この「情報価値の変化」はマスコミを初め、多くの情報商売屋さんには産業革命と言っていいほどの影響力があるはず。だって、自分たちの扱ってきた商品の価値が下がるわけですから。おまんま食えなくなります。……以前は「正しい知識」が価値を持っていたが、「正しい知識」の価値たる要素は、

 ・人が知らないことを知っている
 ・その情報を手に入れられる人が少ない
 ・それがより正しい、詳しい

といったところにありました。分かりやすい例では、昭和初期のインテリ達が「おフランスでは〜ざます」と自慢していたことか。……現在はどうかというと、グーグることで誰でも情報にアクセスできます。これだけで、2つの価値が下落したことになります。残る「より正しい、詳しい」という価値は、情報氾濫や2ちゃんを極とした個々の「情報嗅ぎ分け」能力が鍛えられることでクリアします。誰にでも手に入るものには価値はありません。これが「正しい知識」の価値が下がる と言っている理由です。そして、人々が「正しい知識」の代わりに求めるのが

「思考(正しい知識から創造した考え)」です。
「・・・っで、どうしたらええの?」
「・・・っで、みんな何すんの?」
「・・・っで、これからどうなんの?」
「・・・っで、何が儲かんのさ?」

本来「正しい知識」は素材です。それだけでは何も始まりません。そこから何を引っ張り出したか?ということが必要な訳で、みんな「思考」はやっています。でもそれには質が伴います。よい思考はよい結果を生みます。良く使えば。だから、良質の思考をみんな求めるようになります。良質の思考は誰にでも簡単に手に入りません。