架空の杜

The journey is the reward.

終わったことは合理化して忘れよう

勘違いしている人が多いが、人間の精神の健康は「過去の出来事をはっきり記憶している」能力によってではなく、「そのつどの都合で絶えず過去を書き換えることができる」能力によって担保されている。トラウマというのは記憶が「書き換えを拒否する」病態のことである。

思うにトラウマというのは「おなじ目に遭わないように嫌な記憶を忘れないようにする」という遺伝子にプログラムされた生き抜くための本能です。人間がやっかいなのは「言葉をもっている」点です。過去の嫌な記憶に言葉の装飾による改竄と増殖が行われて、それが現在の自我の有り様すら蚕食しがちな点です。しかし、そこから逃げるにはやはり言葉の力を使うしかありません。言葉によって呪いをかけられた記憶は言葉によってしか呪いをとけないのです。「あのような事態はあの時期、あの場所、あの状況という条件が揃ったとで偶々発動したのであり、あまり思い返して憂鬱になるのは、現在というリソースの無駄遣いである」、こう自分に宣言して言葉の力で自分を納得させることです。その心の整理術を意識的にすれば、トラウマはその重たさを減らしていきます。一番良くないのは、済んだことに悪い言葉でラベリングをしたうえで放置してイメージ化してしまうことです。そうすると、脆弱な私たちは、それを心の中で反芻して黒く重いモヤモヤした気分の悪さを維持してしまい、いつまでも悩まされることになります。