架空の杜

The journey is the reward.

美の不良債権化

なんであれ、美しくなるということは投資である。自分という商品にコストを掛けてそのコストに見合うリターンを得ようとする行為である。美人のコモデティ化によりそのコストは増大する一方、得られるリターンというのは反比例しているのは実感しているだろう。そして、高学歴な人間がいい職に就けないから引きこもるが如く、高値掴みした株が暴落して塩漬けになるが如く、自分を安売りできなくなるのだ。

  • 「美人属性」のコモデティ化というのは、東浩紀が「動物化するポストモダン」の中で論じた、2次元キャラのデータベース化・パラメーター化が、3次元空間(笑)に拡張された結果ではないか
  • かつて男性は金&権力、女性は美貌という、互いに入手不可能な価値物の贈与が成り立っていたが、女性が金(収入)を手に入れてしまったがゆえに「美人属性」は(常に"等価"交換される)贈与価値でなく取引上の一条件に成り下がり、その価値を細かく値踏みされざるを得なくなったのではないか(つまり、「収入がこのくらいある人ならこの程度は美人じゃなくても…」などのトレードオフ要件としてもデューデリ(資産査定)されるようになった)
  • 世間的に離婚が当たり前になり、結婚当初の一時的な交換価値よりも再販価値(Resale Value)や生涯価値(Life Time Value)が重視されるようになり、俗に言う「3日で飽きる」美人属性よりも「一生続く」他の属性に評価ウエイトが移っているのではないか