架空の杜

The journey is the reward.

非モテのアガペーへの歪んだ欲望

2006-11-19 - 力士の小躍り

見返りを求めない無償の愛だけを本物の愛だとしながら、自分は面倒臭い。もはやそこにはエロスの関係はありません。一方的に相手からの無償の愛を望む、アガペーを求めているのです。無償にして無限の愛。地上界においてそれは何かというと「母親から子供への愛」が近いでしょう。「無償の愛=母親から子供への愛」に似た愛を「努力をしない素の状態の自分=赤ん坊」に与えて欲しいと願っている。もちろん、関係性はエロスではなくても、肉欲はあるわけですから、セックスはしたい。つまりは「セックスできる母親」を望んでいるだけですわ。「甘えさせてね、お母さん。で、セックスもさせてね」 モテるわけがありませんわな。女性像が幼稚なんです。だってなにしろ女性は母親以外をよく知らないんだから。

個人的に私は「性」については語らない主義です。でもリンク先の文章が本当に素晴らしく、何かを書きたい衝動にとらわれました。アガペーというのは厄介な概念ですが、私的に解釈すると一方的に与えられる「無償にして無限の愛」ということです。アガペーを与えるのが神様だけだったら良かったのですが、世の中には親、特に母親というアガペーの配給者がいるわけです。女性とコミュニケーションできない非モテにとって一番身近な女性は母親ですから、表層意識上は否定しても、無意識レベルでは「GiveしなくてもTakeしてもらえる」という、血の絆故の関係性を拡大解釈してしまうわけです。親子の関係性なんて汎用性がないのに・・・

優れた二次元創作者は母を巧妙に排除している

随分と不況が続いて、今は相対的には好景気といわれていますが、不況時代に社会から疎外されてGiveしてもTakeの量が不当に低いことが常態化している人間にとって、妄想恋愛の対象にアガペー的な二次元美少女を選ぶのは当然の帰結です。だって現実にそんな女性はいないんだから・・・。宗教の信者でなければアガペー実在の根拠は母親。しかし、母親はウンザリする現実の一部なワケでそんなものは見たくない!故に、ほとんどの非モテオタク向けの商品は巧妙に母親が排除されています。ネギま!なんて中年女性は一人も出てきませんし、涼宮ハルヒの憂鬱だって親は出てこない。作り手はお客様のことをそこまで知り尽くして大きなtakeを得ようとしているのです(別に悪いことではありません)

与えるという快楽に気がつけるか

私は独り身ですし、パワーハラスメントにあってうつ病で引きこもったり、さんざんこき使われたのに遅刻を三回しただけでボーナスを全額カットされたり、搾取する世の中にウンザリして厭世的な気持ちで、更に人様に何かを与える気力なんて残っていませんでした。だから二次元のアガペー的な対象に耽溺したくなる人の気持ちは、とてもよくわかります(欺瞞なくそうです)でもでもやっぱり与えることに恐怖をもったり猜疑心を持っている限り世界は閉じていくだけだと思います。アガペーを羨望するのではなく、与える立場になれば、世界は輝き出すはずです、、って俺にこんなこという資格はないけど。。

欲しいものは与えることによってしか手に入らない