架空の杜

The journey is the reward.

悲劇の条件には二つあって、ひとつは“I must go"ひとつは“It is too late"だと中学生のときに習ったことがありますけど、これは未来も過去も「変更の余地がない」ということですよね。現在に繋縛されていること、それが悲劇の条件なんです。苦しんでいる人の原因のかなりはこの「未来が予見可能だ」という思いこみにあると僕は思います。未来なんて予見不可能なんです。それがわかっている人には、思いがけなく遺産が転がり込んでくることもあるわけですが(笑)。予見できると思いこんでいる人が思い描く未来って、たいていチープなんです。

「自分探し」ということばの欺瞞は「その『探す』という行為の主体は誰なのか?」という問いを決して主題化しないことですよね。だって、「探している私」は「未知の領域」を一歩歩くごとに「別人」になっていくわけだから、「探しているもの」だけが同一であるということなんか有り得るはずがない。