架空の杜

The journey is the reward.

自分は要らない存在じゃないか

その辺に生えている樹木もマンションの近くに棲んでる猫も、誰かにとって格別、必要な存在だからそこに在るわけではない。毎日伝えられるニュース、そこに息づく人の名前も、明らかに紙面やデータの向こうに存在する人間そのものだ。いまここで書いてる私も読んでる貴方も紛れもない一人の人間であって、何かを考え、暮らしている存在のそれ以上でもそれ以下でもない。

「生きていていいことなんかないし」と言われると、率直に「お前はいいことのために生きているのか」と思ってしまう。いいか悪いかは起きてみないと分からない、それだけでなく、はじめは悪い、不快だ、と思った事案が時間を経て同様の事態にぶち当たっていいことに転じたり、実はいいことに繋がっていたということだってたくさんあった。生きることと時間が過ぎることとは違う。人によって、同じ時間の過ごし方でも見方も感じ方も異なる。

切込隊長さまの久々に心に響くエントリです。彼のように聡明な人も、私のように場末でチマチマ生きている人間も、自分自身の存在理由の希薄さの重さという問題は同質に降りかかってくるのですね。生と時間はイコールで結べない。私が死んでも時間は流れる。しかし、死のあとに流れる時間に思いをはせる人間がどれだけいるのだろうか。

そういえばウェブに書き散らした文章は私自身より長生きするのだろうか・・・、この文章を老人になってから見る日が来るのだろうか。。