架空の杜

The journey is the reward.

押井守のニート論

野田 今回のテーマはニート(注1)ということで… 
押井 ニートでもプータローでもいいけど、要は生き方が定まったかど
うかだよ。日本で「生き方が定まった」っていうのは職業のことだから。職業
を転々としてるけど生き方は定まってますというのは日本では通用しないよね。
芸術家だけは、新聞配達してようがコンビニでバイトしてようが、詩人は詩人
であるという生き方が例外的に定着してるかもしれないけど。通常生き方を定
めるということは定職を持つということと等しいわけ。だけど、ニートそれ自
体が生き方なんだっていう人間が現れたらどうするのか。今の日本では中流
ベルでも、子供が遊んでても親が働いていればなんとかなる。昔は食えないか
ら、学校出たらさっさと働け、じゃなきゃ出てけって言われる。
野田 その通りです。
押井 ひとつには定職に就くことの価値が提示しきれなくなったんだよ。
親父が一方的にリストラされたりとか、生命保険会社だって銀行だって潰れた
り。終身雇用以前に、定職っていうものがそもそも存在するのかっていう話に
なる。手に職つけるというのは別にして、何の技能もなくて就職もしなければ、
自動的に世の中の再生産単位ではなくなるわけだ。いち消費単位となるわけ。
その消費単位の割合がこれから増えていくことは間違いない。逆に言えばロシ
アや中国はG8に入りたいんだったら、それだけの余剰人口=消費単位を抱え
てもびくともしないんだということを証明しないといけない。
野田 逆説的ですけどね(笑)。
押井 浪人生とか就職する前の猶予期間というのもあるけど、それはあ
くまで「前段階」だから許されてたんだよね。いずれはあきらめて適当な大学
に行くだろうとか就職するだろうとか、そういう前提があるから飯食わせてる。
そうじゃなくて基本的に仕事する気もない、学校に行く気もない、と宣言して
も今の親は突き放さないわけでしょ?それをどう呼ぼうが、消費単位としてし
か生きないという人間が、これからどんどん増加するだろうね。良くも悪くも。