架空の杜

The journey is the reward.

転載

出る杭は打たれるのでなく引っこ抜かれるのが日本の特性で、一歩抜きに出る人々は、「空気を読め」という言葉に代表されるように、「世間」といわれている訳の分からない時代感覚に同調しなければ、そこから爪弾きにされるという、全く非論理な展開で駆逐されている。こういう状況を今の日本は「右傾化」しているなどという人もいるが、そんな短絡的な話でもなかろう。そもそも古典的なリアルな「右者」は、徒党を組む、世間と同調する、ましてや勝ち馬に乗るなどという思想から、一番掛け離れたトコロで孤高の存在として成り立つのだ。だからこそ大正昭和の「テロル」の中の右者は、自ら組織を離反し、己一人で敵を討つのである。

別に「右者」になれと推奨しているわけではないが、これからの若い人は上に述べたつまらぬレッテル貼りに怖れて萎縮しないで欲しい。最近、何かそうした変な感覚が気になって仕方ない。もしも自分があの立場なら、という簡単な想像力が働かないから、他者と自分が入れ替え可能であると思えず、安全地帯から他者を執拗に攻撃し続ける不感症的な反応が蔓延する。最近起きた世間的なバカ騒ぎを見るに付け、それこそ嫌な空気を感じてしまう。

何かのトラブルが起きるたびに飛び交う「世間をお騒がせしました」という言葉ほど、無為で無意味で空疎なモノはない。水に流そうという感じは決して嫌いではなく、日本的情緒として誇れるものだと思うが、満員電車内で煙草吸う的な迷惑行為への拒否反応と共同体が無意識に求めてくる協調性を同列に並べるレトリックはもう勘弁願いたいのである。