自立とは複数の依存先があること
依存先がひとつしかない場合は、それを執着という
with kindness
Kill them with kindness
(悪意を向けてくる人に対して)優しさで圧倒しろ
Respect is given, disrespect is earned.
尊敬は与えられるものであり、不評は獲得するもの。
他責思考の無意味さ
自分「上司が無能。技術がないのにしゃしゃり出てきて邪魔である。」
相手「どうしてそうおもうの?無能だという根拠はあるの?」
自分「ある。いままで技術的な問題で、3回も尻拭いさせられた。尻拭いしている時に、サービス残業も示唆したし、反省も感謝もなかった。思い込みではなくて結果がはっきりしているから事実だよ。」
相手「結果がはっきりしているなら仕方がない。でもそんな人はたくさんいるんじゃないかな?そればかり考えていても、生活に支障がでるだけだよ。自分にメリットは何もないでしょ?」
自分「・・・そうだね。実際、自分は今悩んで、休職している。」
相手「世の中には、無能な上司はたくさんいる。でも悪いのは、その人であって、自分じゃないよね?無能な上司が悩むなら分かるけど、自分が悩むのはおかしくない?」
自分「でも、無能な上司は悩まないよ。」
相手「悩ませたいの?上司が悩んだところで、自分にメリットは生まれないよね?悩ませたとしてところを見て、自分はスッキリするの?」
自分「多少、する。」
相手「スッキリしたとして、その後どうなる?」
自分「・・・わからない」
相手「意図的に邪魔されるようになるかもしれないし、評価は下がるかもしれないよね?余計ストレスがたまるんじゃないかな?デメリットの方が大きそうだけど、どうだろ?」
自分「そうかもしれないけど。納得できない。」
相手「今こうやって、自分が悩んでいる時間も、上司が賢くなるわけじゃないよね?時間の無駄じゃない?無能な上司のことを考えて、ストレスためて、時間をかけて、メリットはひとつもないよね?」
自分「・・・」
相手「上司のことを考えても、いきなり上司が素晴らしくなるわけじゃない。自分が悪いわけじゃないのに、自分がストレス感じているよね?これはおかしいくないかな?せめてこうやって悩む時間はなくそうよ?」
伝統的に存在する制度や慣習
伝統的に存在する制度や慣習というものは長年にわたってなされてきた多くの微調整の産物であり、その制度や慣習が存在する理由をはっきりと述べることはできない場合でも、実際には存在するに至るなにかしらの理由が存在すると見なすべきである
パーソナリティの決定要因
橘玲センセの新著を読んだ。
人のパーソナリティの決定要因についてほぼ学術的な決着がついた事実を紹介していた。
- パーソナリティの決定要因の半分は遺伝子由来
- あとのほとんどは小学校高学年から思春期が終わる頃までの友人関係(校内カースト)で決まる。
- 幼少期の子育てや家族の影響は一般に信じられているより遙かに少ない
自我とアイデンティティが確立する思春期前後の交友関係のありようでパーソナリティ(人格)はほぼ確定する。幼少期に虐待を受けたりネグレクトの対象になると交友関係を上手く成り立たせることができないが、そういう環境で育ったとしても交友関係のカースト上位に立つことができた場合は、そうでない人間よりも生涯収入も多く、配偶者獲得競争にも勝利者になれる。
現代はメリトクラシー(才能と努力を合わせた総合力)で序列の大枠が定まる。いわゆる「負け組」は思春期に友達がいなかったり、スクールカーストの下位に属していた層がほとんどだという。才能に乏しかったり家庭環境が劣悪だったとしても、交友関係の構築に成功し、広くリーダーシップがとれる人間は、幸福を感じやすく収入も多いことが、膨大な調査による結論としてほぼ揺るぎない事実と認定されたらしい。
いわゆる「コミュ力」の話だろ?といわれるかもしれないが、人生に決定的に影響を与えるのは思春期前後の限られた自己同一性の形成期であり、成人してからコミュ力を磨いても根っこの人間性(パーソナリティ)は変えることができない。
もう一つの興味深い記載は、アイデンティティ確立形成に失敗して、社会的に不遇な立場に陥った人の多くは、肉親を強く恨むようになる傾向が顕著だということだ。家庭外の交友関係での失敗が決定的要因なのに、それを頑なに認めず肉親や親族を諸悪の根源と誤認識する人間が極めて多いらしい。
遺伝子の資質と思春期の人間関係構築の成否が、極めて大きい影響力を持っているという最新の知見は残酷だ。親が子供にできる最大のギフトは、人格形成期に交友関係が上手くいっていないことが判明したら、それらをリセットするために転居したり、転校させることだそうだ。