架空の杜

The journey is the reward.

レヴィナスのテーゼ


人間の欲望が照準するのはモノやヒトではなく、「他者の欲望」である
これは盲点というか、“関係”とか“差異”とかじゃ漠然としてイメージしにくかった哲学の本質を突いていると思った。そしてこのことが判らなかったから、自分は色々見当違いの失敗を重ねてきたのだとも思った。

性愛が一番イメージしやすい、お互いの欲望が一対一でぶつかり合ったとき私たちは至福を感じるのである。ポルノや風俗が穢らわしく感じるのは対象の欲望が手に入らないからである。カネを介在させて擬似的に手に入れるだけなので我々は後ろめたさを感じるのだ。

ラ・ロシュフーコーが様々なバリエーションで揶揄した“虚栄心”の本質は何か、それは「他者の欲望」を自分に向かわせたいと願う潜在意識のことである。

“他人と過去は変えられない”これも名句であるが、他者の欲望を何とか自分に関連づけられないと本質的な“快”は彼岸のままである。

引きこもって映像やマンガで、擬似的に“他者の欲望”を取り入れるだけでは、世界は閉じていく一方である。