架空の杜

The journey is the reward.

父親になりたい萌える男たち

ネギま!の今週号でついにネギは敬愛する父と出会えたわけですが、ナギ・スプリングフィールドはメチャクチャ格好良く描かれていますね。ちなみに作者の赤松健とナギは1968年生まれで同い年です(蛇足ながら私も1968年生まれで、誕生日も赤松先生と4日違いです)ところで、おそらく私だけでしょうけどナギを見てよつばと!の「とうちゃん」を連想しました。少年マンガのお約束の父ではなく萌えマンガの父性(母性)について考察したいと思います。

  • リビドーは満たせても父性願望は本質的に親にならないと満たせない

萌え市場の消費者たちの共通点に「未婚」という共通項があることは、あまり語られていないですが、私はここにこそ「萌え」のマジックがあるとにらんでいます。リビドーは金である程度解消できるし、P2Pソフトの普及によりタダでそれを解消するソフトさえ安易に入手でいるようになりました。

  • 萌えと幼児性愛は似て非なるモノ

赤松先生は父性というより男性の中に隠された母性という考えを示されています。2005年7月18日の日記参照


(1)性行為を伴わない
 遠くから眺めて和(なご)むのが「萌え」。
性行為の対象にはならない。
 性行為対象にしている者は、二次コンその他に分類。
 美女を見て「やりたい」と思うのが正常な男性欲で、
美幼女を見て「なごみたい」と思うのが萌え。

(2)自分の方が強い
 萌え対象物は弱く、こちらに安全を依存しているか
(子供など)、または逆らわない状況にある(メイドなど)。
またはこちらが育てている(ペッ ト的パーツ)。
 そこでこちらも、愛猫を可愛がるかのごとく愛玩し、
危険が迫ったならば自分が身を挺して守る覚悟ができている。
(※ツンデレのみ、立場の強弱に時間差がある)

(3)現状を肯定する
 萌えは「現状」を楽しむ行為であり、
今後の変化を望まない。いつまでも楽しんでいたい。

(3)は別項で語りましたが、(1)と(2)の分析はさすが赤松先生!という感じです。実はこの日記はあまり評判が良くなく、どちらかといえば「赤松は何的外れなこと言っているの?」という感想が多かったと思います。しかしそれらの多くは幼児性愛者が自分の都合の良い萌え定義に異論が出たことに反発したのだと思います。

ナギ・ネギは父と息子ですから性行為なんてあり得ません。そして、ナギは父の圧倒的な強さを誇示します。一見、萌えとは関係のないエピソードに見えますが、実はこの父子関係こそ、洗練された萌えの一形態なのです。

幼児性愛者がどさくさに紛れて自己主張しているので話は混乱しますが、萌えの本質は、得ることの叶わぬ父性若しくは母性の対象を2次元に見いだすことだと私は分析します。

ハヤテのごとく!でしたら、ナギという13歳の少女を守る16歳の執事というのが、この作品の基本ラインですけど、少女を守るというのは、いうまでもなく父性の発露です。

萌え〜とか嘯いているヲタク・アキバ系の人たちは深層心理では、やはり親になりたいのです。性欲よりはあからさまではないですけど、これは人間の基本的な欲望の一つです。それが全然満たされない時代、二次元にその対象を見つける人たちが発する言葉が「萌え」なのだと思います。