架空の杜

The journey is the reward.

葉隠

我々近代人の誤解は、まず心があり、良心があり、思想があり、
観念があって、それが我々の言行に表れると考えていることである。
また言行に表れなくとも、心があり、良心があり、思想があり、観念がある、
と疑わないことである。しかし、ギリシャ人のように目に見えるものしか
信じない民族にあっては、目に見えない心というものは何ものでもない。
そして、心という曖昧なものをあやつるのに、何が心を育て、変えてゆくか
ということは、人間の外面に現れた行動と言葉を持って占うほかない。
葉隠」はここに目をつけている。

そして言葉の端々にも、もし臆病に類する表現があれば、
彼の心も臆病になり、人から臆病と見られることは、
彼が臆病になることであり、そして、ほんの小さな言行の瑕僅が、
彼自身を崩壊させることを警告している。
これは人間にとって手痛い真実である。

我々は、もし自分の内心があると信じるならば、その内心を守る為に
言行のはしばしにまで気を付けなければならない。
そして言行のはしばしに気を付けることによって、
かつてなかった内心の情熱、
かつて自分には備わっていると思わなかった新しい内心の果実が、
思いがけず豊富に実ってくるのである