架空の杜

The journey is the reward.

町山智浩アメリカ日記

「批判するなら理解しろ」という言葉は、もう猪瀬を脅迫したオッサンや、難しい本を読むのがキライな人には特に、巨大な「壁」のように立ちはだかります。何を言っても論破されるだけのような気がするだけです(魚武の武器は図々しさなので、少しこの論旨からは外れます)。

だから「批判するなら理解しろ」というsnowcrashさんの言葉は、正論ですけど、清原がムカつくなら野球で対抗しろというのと同じくらい嫌な感じがします。

そして、みんなその「壁」に負けて、「どうでもいいや」「勝手にしてくれ」と戦意を喪失するわけです。ましてや、普通の人はWEBくらいでしか発言できないし、世間は権威のない人の意見など聞く訳がないから考えても意味がないですからね。

「批判するなら理解しろ」という批判。世の中に溢れかえっていますね。大抵この言葉の裏には「理解したら批判などできなくなるはずだ」というエゴが潜んでいるように思います。この世の人間は誰一人として全知全能の神であるわけ無いのですから、「批判するなら理解しろ」といわれて黙ってしまうようだと、誰も何も言えなくなります。半端な理解よりは直感の方が正しいってことも多いように思いますし。