架空の杜

The journey is the reward.

努力の功罪

努力というのは普通なんと無く厭なものであるという認識が一般的であるような気もするが(主観かな)。世に成功している立派な人は普く努力が大好きで、おそらく彼らは努力の末に手に入れるモノの至福を知っているのであろう。また、努力そのものが趣味という人もいるが、彼らぐらい幸せな人はないだろう。過程も楽しめるし、努力の結末としての成果に至福の喜びを感じることができるのであるから素晴らしい。自分は努力はなんかカッコ悪いことであるというすり込みが幼少の頃から培われていたらしく、自分の人生がぱっとしないのもこのあたりに原因があると思われる。世の中自分よりよほど頭脳明晰であるにもかかわらず、冴えない人生を送っている人を多く知っているが、彼らは刹那的な快楽を求めること以外に人生の喜びを知らないらしい(アホな俺もそうなんだけど)一番下らない連中は努力している人間を嘲る輩だな。悲惨な人生が待っているのは必定だろう。おいらは歳を食ってしまったが、これからでもできる努力はしたいなどと厚かましく思っている、今日この頃である。