架空の杜

The journey is the reward.

今日の箴言:問題を複雑にすることを通じて問題を簡単にする

僕がこだわっていた仮説があります。それは本文中にもでてきますけれど、「簡単な話は複雑にした方が話は簡単になる(ことがある)」というものです。
矛盾した言い方ですけれど、最初の「簡単」と二番目の「簡単」はレベルが違います。例えば、「私は正しい」と言い立てている人が二人いて対立している場合を想定してください。どちらかを正しくて、どちらかを間違いと裁定してしまうと話はとりあえず「簡単」になります。でも、「お前は間違いだ」と言われた方がその裁定に納得できなくて、「こんなのは認められない」と騒ぎ立てて、テーブルをひっくり返して暴れ出すと、話は全然「簡単」ではなくなります。
白黒の決着を付けずに、「どちらもちょっとずつ正しくて、ちょっとずつ正しくない」というふうに話を複雑にしてしまうという手もあります。そして、「どうです、両方でちょっとずつ歩み寄って、『双方ともに同じくらい不満な解』で手を打つというのでは」と持ちかける。「双方とも同じくらいに不満」で、正しくもないし、間違っているわけでもないという中途半端なあたりを「落としどころ」にして、「あと、細かいところは、そのつど調整して」というふうにしておく。話は全然解決していないのですけれど、これが持っていきかたがうまければ、双方ともふくれっ面をしながらも、「とりあえずまあこの問題はしばらく放っておいていいか」ということになる。最終的かつ不可逆的な解決にはほど遠いのだけれども、とりあえずは問題をめぐる争いはクールダウンする。当事者たちは別のことに知的リソースを注ぐことができる。そして、時間が経つにつれて、解決不能と思われていた問題が、別の条件の変化によって、どうでもよいものになってしまったりするんです。ほんとうに。

出典:「死と身体」韓国語版のための序文 - 内田樹の研究室