架空の杜

The journey is the reward.

ネタバレ「まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」感想

何の前知識もなく観に行ってきました。序盤は「パラレルワールドもの?」と思いつつ映像芸術の美しさに圧倒され、中盤で紛れもなく前作からの続きだというのを、ほむらが杏子を詰問したシーンで理解しました。折り返し点ぐらいで「これは、ほむらの願望が世界を構築しているな」と気がついて、それほど衝撃的な話でもないなと勝手に見切ったのが大間違いで、終盤のどんでん返しには本当に唖然としました。よく考えれば今回のサブタイトルが「叛逆の物語」なのでネタバレ済みなんですが、それを忘れて「まどか同様に、ほむらも解脱して輪廻から抜け出せるのでは」と勝手に先読みしてしまっただけに、解脱と反対の方向に堕ちてしまう結末は驚愕という言葉でしか表現できないです。ハッピーエンドではなく、とんでもないバッドエンドでした。

ほむらが解脱できるわけがない・・・

まどか☆マギカは東洋思想、特に仏教の思想が根底にあることは間違いないです。
魔法少女まどか☆マギカ 11話・最終回 輪廻と涅槃の物語 - 架空の杜
ほむらはまどかが解脱した後も輪廻の世界で業を積もらせていきました。彼女は唯一「まどかを忘却していない」ので、まどかに対する執着が業(カルマ)を積もらせ、ついにカルマが一つの世界を構築するに至ります。その世界では魔法少女たちは協力し合って戦い友情を育みます。そして忘却されたはずのまどかがいるのです。故に業(カルマ)の象徴であるキュゥべえ‎は人語を解さない。その偽りの世界の中で、まどかとの接触に成功した結果、業を積もらせたほむらは、自身がカルマそのものとなり悪魔的存在に堕ちるという大きすぎる代償を払うことになります。まどかに執着したが故に、まどかから一番遠い場所に行き着いてしまったわけです。

キュウべぇが葬られた理由

エンドロールが終わった後に朽ち果てたキュウべえがワンショット移りました。ほむらがカルマそのものになったので、インキュベーターは用なしになったのです。ほむらも解脱したらほとんど宗教アニメになっていたと思うのですが、その方向とは逆に物語を展開させた虚淵玄という脚本家の才気に改めて震撼しました。