『使えない個性は、要らない個性。』 - シロクマの屑籠
ナンバーワンよりオンリーワンってあの歌が嫌いだったので溜飲が下がるエントリだ。個性は元来滲み出てくるもので何らかのアクションを意図的にやって手に入れるものではない。社会が構成員全員に「個性的たれ!」と煽動するのは気持ち悪い。それに、社会の構成員が本当に個性的に好き勝手されると、社会秩序上問題である。だから、煽動内容の真意は「個々人が自分は個性的だと思う程度に没個性的に個性的たれ!」という分かりにくいものである。欺瞞に満ちたメッセージが社会によい影響を与えるわけがない。
消費単位としての個性
消費単位が家族単位より個人単位の方が消費放出量は増える。個性を探す人間は消費する。食べるもので差別化しようとしてバカ高い「スイーツ(笑)」を競って食べたりする。ささやかな幸せを分かち合う夫婦より、将来に対する不安や恐怖を感じている孤男・喪女の方が盛大に消費する。個性を煽ったのは高度消費社会における企業だろう。
孤独の増殖
個性の名の下に無個性な消費単位としての個人が増殖したのが今の日本ではないだろうか?自分に誇るべき個性などないと気がついた瞬間に孤男・喪女は消費が慎ましくなる。そして個性幻想に囚われたままの人たちは馬車馬のように企業にこき使われている。どこに幸せで個性的な個人がいるのだろう?