架空の杜

The journey is the reward.

六回離職した私の経験談 三回目迄

新卒の就職活動したのがバブルが崩壊する二年前でした。故に知名度も高く売り上げも巨大な大企業に入社できました。職歴の最初にその業界のトップ企業に入社することは学歴以上に履歴書に箔をつけることができます。その威光で不況時代も何とか転職をつなげることができました。ですから、氷河期に就職問題で苦しんだ少し年下の皆様と比べたらかなり甘々の歴史ではあります。

一回目

その大企業で五年かっきり働いて自己都合で辞めました。最初の四年半は地元の神戸営業所でマッタリと働いていました。阪神大震災を共に経験したことで得意先との絆も深く、優秀な営業マンとはいえませんでしたが、社会の一端を担っているという自覚と自尊心はありました。

ところが、神戸営業所という離れ小島から異動して大阪営業本部で働くようになって僅か半年で追い出されるように辞めました。パワーハラスメントがトリガーとなって、うつ病を発症し、逃げるように辞めたのですから、実質的には強制解雇でした。過去の恨み辛みを書くと本が一冊できてしまうので(笑)書きませんが、もう時効なので実名を書いて仕返しをします。寺田と藤森は氏ね!と・・・ 大企業おきまりの派閥抗争等があって、顧客を蔑ろにして社内政治に熱を上げる人が出世するような腐敗した酷い職場でした。最終出社を終えて神戸に戻る新快速の車窓から見える空の高さが妙に感動的だったのを覚えています。

二回目

二十代後半の初めての転職で最初の職場が大企業なら転職は楽勝です。大胆にも東京の出版社に履歴書を送りつけたら二社から返事があって、一度の上京でアッサリと職場が決まりました。一年の試用期間を経て正社員になるという契約です。編集希望でしたが、やはり甘くなく職歴から妥当とされた印刷会社と製紙会社との折衝を主務とする部署に配属されました。私がいたときは初台に本社があって、もうすぐMW社と一緒になってなくなってしまう、あの会社です。

入ってすぐにアッサリ転職できた理由が分かりました。私の前職の印刷会社の評判が著しくよかったのです。会社も大きくなりすぎると部署によって社風も変わってしまうようです。職歴からすると印刷の知識が乏しかったので、所属先の部長さんはかなりガッカリしたようですが、それでもしっかりと意欲的に私を導いてくれました。教育係役のA木も大変な人格者で尊敬に値する人でした。(彼は現在出世されてEB社でかなりの地位に就いています。)

とにかくこの会社は社風が楽しく、私の所属した部署も印刷と紙の購買が主務の裏方業務部であるのに、UNIXのコードをガシガシ書ける人や、まだ黎明期だったインターネットのWebプログラム知識に精通している人とか、非常に濃い人の多い職場でした。いま思い返してもイヤな思い出は全くありません。一通り仕事を覚えて担当した書籍編集部やコミック編集部の人がまたユニークな人ばかりで、特にO村編集長という人の豪快さにはいつもビックリするばかりでした。蛇足ながら、どの部署にも綺麗な女性がやたらと居て、オタクっぽさと華やかさが同居した不思議な世界でした。

んで、何でそんな職場を辞めてしまったのかというと、まぁ辞めさせられたのですね。資金繰りが悪化して某社から多大な増資をしてもらわなくては倒産してしまうという事態になってしまいました。んで、あと二ヶ月で正社員になれたはずが、増資条件である「契約社員は一旦、全員解雇」という網に引っかかってしまいアッサリ解雇されてしまいました。このとき初めて正社員と契約・バイトでは身分が全然違うということを身をもって知りました。

最初の会社を辞めたことは必然だったし後悔の欠片もなかったのですが、オタクでネクラな私が違和感なく振る舞えたあの会社の社風は本当に愛すべきものでした。済んだことはあまり後悔しない方ですが、この退職に関してだけは、もっと駄々をこねて、会社に残れるように政治的に動けばよかったとしみじみ思います。

三回目

前職・前々職の職歴がてきめんに効いてアッサリ当時は破竹の勢いであったX社に入社できました。(こないだ倒産してしまいましたが(笑))最初の半年ぐらいは本当に楽しく働けました。前職で学んだことが120%生かせる職場だし、今回は購買業務を全て任せてもらえるので、やりがいは大きかったです。後の退職理由となる社長の性格の極悪非道さも気になりませんでした。割高な箇所のあった購買価格を片っ端から前職と同じ水準まで下げさせたので褒められる方が多かったですから。

しかし、コストダウン交渉を一通り終え、購買業務のシステム構築も一段落した頃から、段々と社風の悪さが見えてくるようになり、ルーチンワークが主務になった頃から日に日に居心地が悪くなってきました。創業期に会社を支えた優秀な人が次々に去っていき、会議に出ても入社一年の私が古株扱いされてしまう有様でした。段々とギスギスした社風に精神が犯されていってK社長の顔を見るだけで嗚咽が走るようになってきました。それでもまだ20代としては、かなりの給与をもらっていたので辞める勇気が持てませんでした。しかし、うつ病は段々悪化して通勤電車の中でへたり込んでしまったり、社内にいると気が塞ぐのでトイレに2時間以上籠もったりしました。そのあたりから退職にいたって神戸に退転する過程は断片的にしか覚えていません。心神喪失になっていたのです。