架空の杜

The journey is the reward.

「怒り」という感情について


人間の欲望が照準するのはモノやヒトではなく、「他者の欲望」である
これは今年学んだ箴言の中で一番心に染みて脳に焼きついた言葉。
このレヴィナスのテーゼをひっくり返してみた、厳密には引っ繰り返ってないけどw

人間の恐怖が照準するのはモノやヒトではなく、「他者の怒り」である

一番怖いこと・不愉快なこと

社会で生きていく上で、恐ろしくて怖いこと(言い換えると不愉快なことは)の筆頭は、「他者の怒り」かもしれない。*1蔑み・貶め・嘲笑・妬み・嫉みといったネガティヴな感情に起因する怒りの矛先が向けられた時の人間の弱さは、何よりも自分自身が身に沁みて知っている。理不尽な怒りの矛先が自分にたまたま向けられただけなのに、心底凹んじゃうヒトはたくさんいるっていうか人間はそういうもんだとさえ思っている。俺は鬼畜上司のために、鬱病心神喪失までになった。(もう7年前の話だが)だからこそ、怒るリスクはよく知っている。怒りの言葉は人を傷つけるし、場合によっては病気にさえさせちゃう(鬱病とか)

一方怒りの表明は人を動かすには実に効果的(短期的だけどね)

でも怒るときは怒らないとビジネスの世界では生きていけないのも事実。結果の善し悪しは別として、私を含む凡人が影響力を駆使して他者を動かそうとすれば、それは怒りを表明したときだ。笑って頼んだり、下手に出ると後回しにされちゃう。残念ながら「怒り」は力を持っている。現にヤクザはこれで飯を食っている。

貧乏すると周囲に些末なことで怒り人の割合が・・・

貧乏になってつくづく思うのは、お金がないってことは、恐怖の対象である他者の怒りに関わらざるを得ないってことだ。金が無くなると何故か回りに不愉快な人が増える。不愉快な人の中で働いていると、どんな善良な人間でもやっぱり不愉快になってしまい、殺伐とした職場になってしまう。

殺伐した世界から逃げるには・・・

他人から発せられる「怒り」等のネガティヴな感情から本質的に逃げるには、お金持ちになって、会いたくない人に会わなくてもすむようになるしかない。下げたくない頭を下げる必要のないところまで成功しないと、心地よい世界の住人にはなれない。これが現実。

蛇足ながら

引きこもりもニートも、本質的な問題は社会構造の歪み以上に、「他人が怖い」「自信のない自分が他者の怒りを引き出す可能性から逃げたい」というところも大いにあるんじゃないかな。親という経済バックボーンを失ったら彼らは本当に地獄をみるでしょうね。

俺自身もそうだし、俺の知り合いにも社会的弱者が多い。せめて自分はいつも笑って(笑うしかできないから)いつも上機嫌でいたいのだけど、現実は厳しい、怒りを常に表明しないと生き抜いていけない世界に身を置かざるをえないのは、自分がこれまでずっと甘えた世界に生きてきた天罰なのでしょう。

やるべきことは、怒っている人に同期して自分まで不愉快な気持ちにならないことだな。辛いときこそ笑ってポジティヴな言葉を口に出すこと。不愉快だったクリスマスイヴの反動か今日はいいことばかりだった。来年こそ終始穏やかな世界の住人になれるよう努力したいなぁ。

レヴィナスと愛の現象学

レヴィナスと愛の現象学

*1:もう一つは経済的に逼迫することだな