架空の杜

The journey is the reward.

萌えマンガに成長は不要

インスパイアさせていただいてコメントまでいただきましたid:tanabeebanatさんのハヤテ論ですが、「つっこみOK」ということなので異議を唱えたいと思います。
ハヤテのごとく! 第七日:選択される未来 - tanabeebanatの日記


さて、再三の繰り返しではあるが、ハヤテのごとく!という物語の幹は、
綾崎ハヤテ君という少年と、三千院ナギという女の子の成長にある。
この作品が牛歩の如くジリジリとしか進まないのは、主人公とヒロインの成長を丹念に描きたいからではないと思います。たぶん逆です。 萌えマンガはキャラが成長してしまうと萌えの枠組みが崩れてしまうからです。ハヤテのごとく!はハヤテが16歳、ナギが13歳という設定がしてあります。特にナギの13歳という年齢が妙齢で、畑センセがは絶対この年齢に拘っています。ナギ・伊澄・咲夜・ワタルと実に4人のキャラがこの年齢にフィックスされています。

12歳だと小学6年生を連想してしまいますし、14歳だと性に目覚めてしまうという(碇シンジは14歳で自慰をしています)ことで13歳という年齢が絶大な意味をもつのがこの作品のポイントだと思います。

萌えマンガに成長は不要というのは「あずまきよひこ」が一番自覚的です。

あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)

あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)

この特殊な4コマ中心のマンガで彼は一躍人気漫画家になりました。この作品では律儀に作品内の時間が流れ、大ヒット作であるにも関わらず潔く3年間の高校生活が完了すると終わってしまいました。

この作品でおもしろいのは、律儀に作品内世界で時間が流れているのに、キャラは何も変わらないということです。4巻の165頁 (ちよちゃんは飛び級で高校生になった天才少女です)


ちよ「でもいよいよ卒業ですね」
大阪「3年てあっとゆーまやなぁ」
大阪「ちよちゃんはずいぶん大きくなった」
ちよ「そーですか?」
大阪「私はだいぶ しっかりしてきた」
大阪「そんで ともちゃんは」
よみ「おい!今の聞き捨てならねーぞ!」
実際、3年たってもキャラの性格は微動だにしていません。キャラクターの性格だけが厳密に決められていて、その枠内を絶対外すことなく、だから故に読者は安心して、キャラに萌えられたのです。畑健二郎センセが、この作品を研究していたことは4巻の140頁に、意図的に洩らされています。

ハヤテ「ええ!? お嬢様高校生だったんですか!!」
ナギ「そんなに驚くなよ。」
ハヤテ「そんなのだってどこかの四コマまんがの---」
ナギ「それ以上言うなよ。」
あずまんが大王は週刊少年誌の出自ではない点がポイントですね。人気があったら止めたくても止められないのが週刊少年誌ですから・・・

キャラを成長させないという手法はあずまきよひこ自身によって洗練化されます。

よつばと! (1) (電撃コミックス)

よつばと! (1) (電撃コミックス)

月刊連載で四巻まで話が進行していますが作品内の時間は夏休みから出ていないです。しかし律儀に時間は流れているのは前作と同様です。夏休みが終わると主人公の小岩井よつばは学校に行かなくてはなりません。しかし、外人で拾われっ子の彼女が学校で幸せになるというのは少し無理があります。夏休みが終わったら、作品内のバランスが全て崩壊して終わってしまうのです。ですから、この作品も終わりを想定して創ってあるはずです。
話をハヤテのごとく!に戻しますと、作品内の時間がジリジリとしか進まないのは、萌えマンガのフレームを壊さずに長期連載して名声を得たいという畑健二郎の野望の表れなのです。

一般的に「努力・友情・勝利」というジャンプ三原則にみられるように少年マンガは成長が必須でした。読者は主人公の成長に感情移入して感動するというのが、売れるマンガのセオリーでした。さて、ハヤテのごとく!という作品はそうなっているでしょうか?

畑健二郎先生が過剰なまでに作品の打ち切りを畏れていたのは、少年マンガのセオリーを外して週刊連載で成功を得られるかどうか確信を持てなかったからでしょう。

四巻収録の番外編は一気に四月まで時間を跳躍させていますが、ハヤテ・ナギ・マリアのメイン三人の人間関係に変化があったようには見えません。ハヤテ・マリアはある意味で既に超人であり成長の必要がありませんし、じゃぁナギが成長するのを読者は期待しているかというと、期待していないと思います(私の憶測だけどね)

萌えマンガのこれからの成功のセオリーは、キャラの設定が強固で読者が安心して癒される逃避空間の創造にあると思います。

それなら「うる星やつら」のように作品内時間をループすればいいじゃないかとの反論が出そうですけど、ジリジリではあっても律儀に時間を未来に流すことで、物語の先を見たいという読者の期待を煽っているわけです。