架空の杜

The journey is the reward.

今日の樹言


靖国問題についていくつかの関連書籍を徴したけれど、
賛否両論その論ずるところは畢竟するに「正しく祖霊を祀らないと、祟る」
ということにゆきつく。
靖国参拝反対派だって、そうなのである。
彼らもまた「正しい」慰霊のあり方を追求していることに変わりはない。
「戦争で死んだ人間のことなんてオレはどうだっていいんだよ。問題は政
教分離の原則だ」とか「日本の国益だ」とか「安全保障だ」とかいう非霊
的にクールな論者を私は見たことがない。
かりに内心でそう思っていても、そんなことを口にしたら誰もその主張に
耳を傾けてくれないということくらいはわかっているからだろう。
「私たちはそのことについては今から語る気はありません。たとえ世界の人々
が何も知らず、すべてを忘れてしまったとしても。私たちは『受難中の受難』を見世
物にしたり、この非人道的な叫び声の記録者や演出家としてささやかな虚名を得るこ
とを自らに禁じています。その叫び声は永遠の時間を貫いて、決して消えないままに
残響し続けるのです。その叫び声の中に聞き取れる思考に耳を傾けましょう。」
(「神よりもトーラーを愛す」、『困難な自由』)
三つ目の視点を作るのは樹センセの18番です。