架空の杜

The journey is the reward.

知性の判断基準

"私たちは知性を計算するとき、その人の『真剣さ』や『情報量』や『現場経験』などというものを査定に入れない。そうではなくて、その人が知っていることをどれくらい疑っているか、自分が見たものをどれくらい信じていないか、自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、を基準にして判断する"

ゲット・バック・ネイキッド本の発売が楽しみ♪

ビートルズ末期のゲットバックセッションのメンバーの会話のエッセンスを訳した一冊。生身の彼らがどういう会話をしていたかを日本語で読めてしまう。存外こういう本を読むことが一番語学力が上がる気がする。発売が本当に待ち遠しい♪

2020春アニメ

2020冬アニメは一本も観なかった。
そして観ておけば良かったと思える作品もなかった。

一方春アニメは確実に観る作品が既に決定している

かぐや様は告らせたい二期

原作もアニメも心から楽しんでいる。二期該当箇所も傑作揃いで9巻の終わりぐらいまでを利用しそうだけれども、原作をどう構成するのか極めて興味深い。丁寧に創ってあって、原作をリスペクトして、キャストが全員嵌まり役だと面白いに決まっている。早く始まらないかなぁ~

かくしごと

久米田康治センセの傑作のアニメ化。作風としては改造以来の独特の社会批評がマンガ世界に向けられていたり、それだけに留まらずメインストーリーにも深みと親子愛、謎解きと、久米田先生の集大成のような傑作です。当然のように神谷浩史がキャストを務めているのもいい。アニメを楽しむためにあえて原作の再読を封印している。

MacBook Air欲しい

新しいMacBook Airが発表された。欲しい。職業柄Macは必要だ。2012_LateタイプのMac miniSSDに換装済)を利用している。さすがに旧く動作が重い。もっとも、仕事で必要になったとき以外使っていなし、その用途では性能はまだ足りてはいる。

30年超PCを使い続けているが、なんと まともなノートPCを一度も所有したことがない。(一度超ミニノートを入手したが性能が低すぎて使い物にならなかった) 仕事の性格上、IllustratorPhotoshopAcrobat DCをインストールしたノートなら自宅にいなくても仕事はできる(理屈上は)

上記のminiでも相場を調べたら3万円前後でなら売れる。Appe製品のリセールバリューの高さはあいかわらず半端ない。ずーっと延々、ノートPCを買いたいと思いつつ機会を逃しPCとの邂逅以来30年経ってしまった。

ノートPCとは別にMacBookにも別の種類の物欲がある。巡り合わせが悪いとはいえ、iPhone4s iPad mini初代 IPad Air(初代)iPad9.7 2018モデル、さらに2009モデルのMac mini、そして上記の2012モデルのminiとそれなりにAppleに貢いでいる。

スマホはコストパフォーマンスの側面から、今後もAndroidを使い続けそうだ。タブレットは現在AndroidiPadの両刀使い。iPad電子書籍版の雑誌を読む以外では多少持て余している。とはいえ、本業でのiPad入稿受け入れに従い、データ検証用としても今後役に立ってくれるはずだ。iPadが良くないというよりHUAWEIの8インチタブレットが個人的に便利すぎるのだ。

で、今回発表されたMacBook Airだが、やっと割高感が消えて熟成されたコストパフォーマンスのよいマシンがでたという印象だ。このタイミングで買うのは悪くない。

とはいえ、必要性が何処まであるかは不透明だ。ただ外出時にIllustratorを起動しせざるを得ないシチュエーションは十分考えられる。その用途ならWindows機のコスパのよいノートが最適だが、どうにもこうにも食指が動かない。自宅のテスクトップPCは結構ハイエンドな性能なので、落差が気になりそうだ。その点、Macなら旧いminiとの比較になるので快適にはなるだろう。自宅ではminiの代替としてモニタに繋いで、外出時に切り離すというのは本来の使い方だし・・・

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日本のコミュ障

コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである、と述べている。日本におけるコミュニケーションの様相はそうではない。同調圧力に抗うのは「コミュ障」である。異論を唱えるのは「コミュ障」である。深夜に行われる討論番組で、参加者が番組の終わりに「おれ、意見を変えたよ」ということは起きない。彼らは議論をしているのではない。演説を繰り返しているだけなのである。だから、自説は一ミリも変わらない。
 本当に「コミュ障」なのはこうした同調圧力の奴隷なのではなかろうか。

コンテンツの消化能力が爆減中

本が読めない、動画も読めない、ゲームもできない。ネットザッピングさえ面倒。音楽も環境音以外耳障り。とコンテンツ拒否症状が出ている。ネット時代・サブスクリプション時代、コンテンツの入手コストが下がりすぎたのが原因なのかもしれない。それよりも春期に顕著な精神エネルギーの枯渇が主因だろう。

週末よりも仕事がある平日の方が心が落ち着くという変な状態に陥っている。毎週土曜日は倦怠感が半端ない。それでもイベントがあるときは人様に元気をもらえるので、次の週への意欲を蓄えることができた。3月に入ってからコロナウィルスの影響はイベントが全部中止。誰かに個人的に会おうかと思ったけれども、週末も忙しい知人が、これを機会に家族サービスにいそしんでいる様子をSNSで閲すると躊躇ってしまう。

せっかくグリーンチャンネルが無料開放されているので競馬を楽しもうと思った。しかしスポーツとしての競馬、血統には興味があるけれども、ギャンブルとの親和性は元より低い。日曜日のメイン重賞に千円か二千円投じる以上にカネを使えない。弥生賞は少し勝負したいけどね。